中田浩二のブログ著者名:中田浩二
プロフィール:
1979年7月9日生まれ、滋賀県出身。
帝京高校進学後はBチームに入れられるなど決して順調ではなかったものの、ボランチに転向し、頭角を現す。3年生のときにキャプテンとして全国高校サッカー選手権に出場し、決勝では後に鹿島アントラーズでチームメイトとなる本山雅志擁する東福岡高校に敗れるものの、準優勝を収める。
1998年に入団したJリーグの鹿島アントラーズでは、同い年の小笠原満男、本山雅志とともに中盤を担い、MFとしてチームに多くの栄冠をもたらした。鹿島ではリーグ優勝2回、天皇杯優勝1回、ナビスコカップ優勝1回を経験している。2003年8月の大分トリニータ戦で左ひざ靭帯断裂の大ケガを負い、長期戦線離脱を余儀なくされた。2004年5月、柏レイソル戦で259日ぶりの試合復帰を果たした。
2005年1月、元日本代表監督のフィリップ・トルシエが監督をしているフランス1部リーグのマルセイユの練習に参加する。マルセイユ側は中田の獲得を打診するが、提示された移籍金が低額だったため、鹿島側は中田の移籍を認めなかった。ちょうど中田との契約切れが迫っていた鹿島側は来季以降の契約更新を申し出るが、中田本人が海外移籍を希望していたため断り続ける。結局契約切れとなりフリーの立場で1月26日にマルセイユに移籍。所属クラブの意向を無視した(移籍金0円での)移籍だったため、円満移籍とは完全に言えない。
移籍当初はそこそこ出場機会はあったが、不慣れな左サイドバックでオウンゴールを献上したことや、トルシエ監督の解任により出場機会が激減。守備的MFだけでなくDFもこなせるため出場が期待されたが、イスラエルのクラブからの数億単位の移籍話を蹴ったことでフロントとの関係が悪化、その結果、事実上戦力外にされてしまう。
2006年、出場機会を求めてクラブに移籍を申し出る。古巣の鹿島にも打診したが、「移籍金0円なら獲得する」という回答だった。イスラエル、ウクライナのクラブからオファーが届くもいずれも断り、スイスリーグの名門バーゼルの練習に参加し、その後正式契約を結んだ。