著者名:谷垣禎一
プロフィール:
1945年(昭和20年)3月7日生まれ、京都府出身。日本の政治家。自由民主党総裁(第24代)。
東京大学法学部を卒業。短期間の弁護士生活を経て、元文相で父・谷垣専一の死去に伴う補選で父の地盤を引き継ぎ、1983年(昭和58年)旧京都2区補欠選挙に自民党より出馬し初当選、選挙区に20日間泊り込んで支援した白川勝彦や亡父も属した宏池会に所属。
1993年(平成5年)の非自民連立政権では野党自民党の国会対策の中心を担い、1995年(平成7年)に衆院議院運営委員長。1997年(平成9年)、第2次橋本内閣改造内閣の科学技術庁長官として初入閣。総理府の原子力委員会にて委員長も兼任した。
1998年(平成10年)の金融危機にあって、小渕恵三総理大臣は宮澤喜一に大蔵大臣就任を要請。宮澤が就任条件の一つとして谷垣の政務次官就任をあげたため、閣僚経験者でありながら次官となった。続く「金融国会」において金融二法の成立に尽力、引続き国務大臣・金融再生委員会委員長に抜擢されたことで、経済政策のエキスパートとしての評価が高まった。
森内閣時の、2000年(平成12年)の加藤の乱での「あんたは大将なんだから」は記憶に新しいであろう。
2001年(平成13年)に小泉純一郎が首相となると谷垣は重用され、2002年(平成14年)秋以降は常に閣僚の座にあった。
とりわけ要職である財務大臣を3年にわたって無難に務めあげたことで表舞台での活躍が増し、広く認知されるきっかけとなった。
党でも2005年(平成17年)、小里貞利の引退により、会長席が空いた小里派宏池会から最高顧問の加藤が離脱したのを機に、谷垣派を形成して派閥の領袖となる。
安倍政権では、谷垣派からの閣僚・党三役への登用はゼロで、党内非主流派に回ることになった。与党が過半数割れした2007年7月の参院選後は、安倍内閣の政治姿勢に対して公然と疑問を呈するなど批判の度を強めていたが、直後の内閣・党役員人事でも谷垣派からの要職起用は無かった。
福田政権時に、2008年(平成20年)8月2日の内閣改造では国土交通大臣に就任。
2009年(平成21年)9月28日、有効投票総数499票中300票を獲得し、第24代自由民主党総裁に選出された。