著者名:魔裟斗
プロフィール:
1979年3月10日生まれ、千葉県出身。本名は小林 雅人(こばやし まさと)。妻は女優・タレントの矢沢心。
1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。プロボクサーを志すがプレッシャーからプロテスト受験当日に失踪してボクシングプロテストは不合格に終わる。そのままヨネクラボクシングジムを退会。
1997年、17歳で藤ジムに入門。
2000年1月21日、全日本キック「LEGEND-I」のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。3月14日付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、全日本ウェルター級タイトルも返上。「シルバーウルフ」所属となった。5月26日、「コロシアム2000」でメルチョー・メノーと対戦し、KO勝ち。7月26日、自主興行「Wolf Revolution First Wave」を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーにKO勝ち。11月1日、ムラッド・サリ(王者、フランス)と対戦しKO勝ち、I.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級王座獲得。
2001年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「ODYSSEY-1」で伊藤隆の引退試合(エキジビジョンマッチ)の相手を務めた。
2003年7月5日、「K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜」の決勝戦で前年度王者アルバート・クラウスをKOで下し、優勝を果たす。12月15日、「WOLF REVOLUTION meets LUZ」で宇野薫とエキシビジョンマッチを行った。1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなりオープンフィンガーグローブでの戦いを披露した。
2004年7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜」のジャダンバ・ナラントンガラグ、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下したものの、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムックと対戦。ダメージの蓄積に加え、ブアカーオの攻撃になすすべもなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7月9日に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。12月31日、「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」で山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。1R、KIDにダウンを奪われた直後、ローキックがKIDの金的に直撃し試合が中断する。5分の休憩の後、試合を再開。2Rにダウンを奪い返し、判定勝ちを収める。