著者名:楢崎正剛
プロフィール:
1976年4月15日生まれ、奈良県出身。AB型。日本のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
奈良育英高校卒業後1995年に横浜フリューゲルスに入団し、長期出場停止処分を受けた森敦彦に代わって入団初年から正GKとしてプレーした。翌1996年シーズンは開幕から6試合連続無失点のJリーグ記録を樹立し、クラブとしても開幕8連勝を果たすなど優勝争いに大きく貢献した。最終順位は3位に終わった。同年の活躍によりJリーグベストイレブンに初選出されている。1998年シーズン限りでクラブが消滅したため、1999年に名古屋グランパスエイトへと移籍した。この時にGKコーチのマザロッピも共に名古屋に移籍している。名古屋でもそれまで正GKを務めていた伊藤裕二からポジションを奪い、2000年からは現在に至るまで11年連続でキャプテンを務めるなどチームの中心として活躍している。2009年7月25日の対浦和レッドダイヤモンズ戦(埼玉スタジアム2002)にて、史上初の「Jリーグ公式戦100完封」を達成。
日本代表には1996年に初選出され、1998年2月15日のオーストラリア代表戦で国際Aマッチ初出場を果たした。日本のワールドカップ初出場となった1998年フランス大会メンバーに選出されるが、この時は川口能活の控えに回ったため出場機会は無かった。
フランス大会後、代表監督に就任したフィリップ・トルシエの下で出場機会を増やし、2002年日韓大会では川口に代わって正GKを務め日本代表史上ワールドカップでの初勝ち点、初勝利(完封勝利)、初の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。また、この間2000年シドニーオリンピック代表に森岡隆三、三浦淳宏と共にオーバーエイジ枠で選出され全試合に出場している。
日韓大会後のジーコの代表監督就任後も、引き続き代表の正GKを務めていたが、怪我で出場できなかったアジアカップにおいて楢アの代わりに川口が活躍し大会後も徐々に出場機会が減った。2006年ドイツ大会では控えに回った。
ドイツ大会後に代表監督に就任したイビチャ・オシムからは暫く招集を見送られていたが、クラブでの好調さを評価され2007年6月のキリンカップのメンバーに招集され、モンテネグロ戦で24試合ぶりの先発出場を果たした。2008年のワールドカップアジア3次予選途中からは川口の不調により、正GKは楢アに交代となり安定感を見せて、約5年振りとなる代表レギュラーとしてプレーした。しかし、2010年南アフリカ大会直前の練習試合においては、高地適用で遅れたためにスタメンを川島永嗣が務め、本大会でも出場機会は得られなかった。日本に帰国してから、エル・ゴラッソの取材に「高山病はガセネタ。毎日練習していたし、高地にも普通に順化できた」と話している。
2010年9月7日、グアテマラ代表戦(長居スタジアム)に先発フル出場。その後の記者会見で日本代表からの引退を表明した。