著者名:長谷川滋利
プロフィール:
1968年8月1日生まれ、兵庫県出身。A型。
高砂市加古川市組合立宝殿中学校に在籍時、投手として第5回全国中学校軟式野球大会で優勝。
東洋大姫路高校では全国大会に3度出場。立命館大学在学時は関西学生野球連盟で5度最優秀投手の表彰を受け通算40勝。1回生のときには古田敦也が4回生と在籍していた。
1990年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブの1位指名を受け入団。
プロ1年目の1991年には12勝し最優秀新人賞を獲得するなど、オリックスの先発投手の柱として活躍した。
1997年1月に金銭トレードによりアナハイム・エンゼルスに移籍。背番号は21。90MPHの2シームなどを武器に、大リーグではセットアッパー(中継ぎ投手)として起用され好成績を残す。
2001年オフ、シアトル・マリナーズへ移籍しイチローと再会。背番号は17へ変更。2003年は佐々木の故障を受けクローザー(抑え投手)として起用され好結果を残し、オールスターゲーム出場を果たした。
長谷川の投球フォームの動作は大変速く、打者のタイミングをはずすことに成功したのがメジャーリーグでの活躍の要因の一つと言える。牽制球も非常に上手く、盗塁によるピンチの拡大をよく防いだ。また、故障も非常に少なく、故障者リストに入ったのも1度だけ。メジャーリーグで9年間マイナー落ちを経験せずに投げ抜いた。
2005年11月、球団から来年度の契約未更新を通告されたが、その後、日米数球団からのオファーもあった。しかし「マウンド上でのモチベーションを維持することが困難になった」との理由で2006年1月に正式に引退を表明した。
2006年よりスポーツニッポン評論家に就任。