著者名:北斗晶
プロフィール:
1967年7月13日生まれ。埼玉県出身。O型。日本の元女子プロレスラー、女性タレント、実業家・芸能プロモーターである。本名は佐々木 久子(ささき ひさこ、旧姓:宇野〔うの〕)。
1985年6月12日、札幌中島体育センターにおける岩本久美子(後のグリズリー岩本)戦で全日本女子プロレスよりデビュー。入門当時は当時の本名・宇野久子をそのままリングネームにしていた。同年の新人王決定トーナメントは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞となった。
1986年3月、大阪城ホール大会で先輩のコンドル斉藤が保持する全日本ジュニア選手権を奪取。同期ではもっとも早い戴冠だった。
1987年、当時保有していたWWWA世界タッグ王座(パートナーは堀田祐美子)の初防衛戦で、首の骨を折り長期欠場を余儀なくされる。医者からは引退を宣告されるが、本人のプロレスを続けたいと言う強い意思とファンからの後押しで復活(ただし、医者から「復帰したら30歳過ぎには後遺症で体が動かなくなる可能性もある」と忠告されている)。1988年には同期の鈴木美香(みなみ鈴香)と海狼組(マリン・ウルフ)を結成し、リングネームを北斗晶に変更。1989年3月1日に『颱風前夜(The Evo of Fight)』で歌手デビュー。
1990年代に入ると2年後輩の豊田真奈美から「北斗、お前は1度も私に勝ってないんだからなあ」と言われ激怒。豊田、山田敏代ら昭和62年入門組との世代対決が開始され、女子プロレスの質は飛躍的に高まり、男性ファンが大挙して会場に押し寄せるようになる。1992年、ヒールに転身し三田英津子と猛武闘賊(ラス・カチョーラス・オリエンタレス)を結成(のち下田美馬が参加)。
1993年から1997年にかけての団体対抗戦時代には神取忍と血みどろの抗争を繰り広げ、デンジャラスクイーンと呼ばれるようになる。試合後の毒舌マイクパフォーマンスも人気を呼んだ。また、国内の活動と平行して「レイナ・フブキ」のリングネームでメキシコのEMLLでも活躍した。しかし長期欠場に追い込まれた首などの度重なる大怪我が響いて、最後まで悲願のWWWA世界シングル王座には手が届かなかった。
北朝鮮主催のスポーツと平和の祭典で健介と出会い婚約。1995年10月1日に健介と結婚後フリーとなり、WCWを経て1996年、GAEA JAPANに入団。1998年に長男を出産、一時リングを降りていたが翌年復帰を果たし、団体内グループであるT.NDS(チームノストラダムス)および卑弥呼を結成し、日本初のママレスラーとなった。
その後、親友であり自身と同じく幼い子を持つ女性が亡くなった事がきっかけで引退を決意し、2002年4月7日、横浜文化体育館の長与千種・浜田文子組戦(パートナーは里村明衣子)において現役を引退する。
引退直後は主婦業に専念していたが、2003年のWJプロレス退団後苦労する夫健介を支えるべく、健介のマネージャー役としてプロレス界に復帰、健介の復活を支えた(2004年には、健介officeが発足)。また「埼玉の主婦の喧嘩」と称して全日本プロレスで試合をすることもある。