1963年6月10日、アメリカン大学にてケネディ大統領が「平和への戦略」と題した演説内容の一部です。
どのような平和を私は言っているのか? どのような平和を我々は探求しているのか?
それはアメリカの武力によって押しつけられるバックス・アメリカーナではない。
そして墓場の平和でもなければ、奴隷の安全性でもない。私が言っているのは本物の平和である。
それは人生が生きるのに値すると思わせる平和であり、全ての人々や国々を発展させ、夢を抱かせ、子どもたちのためにより良き生活を打ち立てさせ得る平和である。
それはアメリカ人だけのための平和ではなく全人類のための平和であり、我々の時代だけの平和ではなく全ての時代の平和である。
私が平和について述べるのは、新たに直面する戦争の存在が理由にある。
列強が、巨大でしかも相互に使用できない核兵器を保有することができ、また、核兵器を使用せず、敵に降伏させることができない時代において、全面戦争は無意味である。
一発の核兵器が、第二次世界大戦において、全ての連合国の空軍によって使用された爆弾の爆発力の総和の約十倍の破壊力を備えている時代に、全面戦争は無分別以外の何物でもない。
核戦争によって作り出される死の毒が風や水、土壌や種子によって世界の隅々まで拡散され、更にまだ生まれていない世代にまで影響を及ぼす時代に、全面戦争は意味を持ち得えない。
今日、何千億ドルという金が軍事費に使われ、それによって平和が維持されている。
しかし、核兵器の無駄な蓄積、破壊するだけで何ものも創造しない核兵器の蓄積だけが平和を保障する唯一の、しかも最も効果的な方法なのだろうか。決してそうではないはずだ。
(※以下、略)
旧ソ連が、このケネディ大統領の演説を、新聞にノーカットで掲載し、ラジオを通じて全国民に聞かせたのは、冷戦当時下では考えられないことでした。
それほどのインパクトと未来への希望を持ったスピーチであったと言えるでしょう。
しかし、同年11月に全てが変わってしまいました。
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