知りたい情報、役立つ情報の検索サイト [サーチアイレット]
サーチアイレット

三国志の主人公は曹操と諸葛孔明

蜀の桟道の写真

今でも人気を誇る三国志。長い年月を経て、壮大な歴史ロマンとして語り継がれてきました。

史実とは違いがあるものの、物語を面白くするためにできた三国志演義。筆者によって違いはあれど、いずれも面白く描かれていると思います。

中でも、劉備玄徳が主人公として描かれているものが一般的に知られています。

しかし、玄徳が主人公として描かれている物語であっても、よくよく読むと、本当の主人公は「曹操」と「諸葛孔明」であることがわかります。

また、孔明の偉大さを引き立てたのが、司馬仲達。

その3人の特徴や凄さをまとめました。

短所もあったが長所が勝った曹操

曹操像の写真

三国志演義の中でも「曹操が本当の主人公であったとも言われる」という記述があります。乱世の時代に、中国大陸の3分の2を支配したので、それも納得できます。

曹操よりも、力を持った勢力を策謀をもって次々に討伐しました。「知力」というよりも「判断力」に優れていた結果です。

冷酷な一面はあったものの、身分に関係なく、優秀な人材を大切にしたことから、早くから有能な部下が揃っていたことも、曹操の勢力拡大の一因でありました。

勢力拡大後は、当然勢力下の人口は多くなり、中央の利を占めていたこともあって、更に優秀な人材が集まりました。

持ち前の判断力で、多くの優秀な部下の進言をよく用いました。

また、多くの敗戦や失敗もしましたが、悔やむよりも将来に生かしたことも曹操の長所。これは自身に対してだけではなく、優秀な部下に対しても同様でした。「勝敗は兵家の常」です。

孔明が世に出て蜀が大きくなり、呉の勢力も強くなってからは、あまり勢力圏を拡大することはできませんでしたが、勢力を維持できたことも曹操の偉大さを物語ります。

抜群の先見の明があった諸葛孔明

諸葛孔明像の写真

「天才」という言葉は、諸葛孔明のためにあるような気さえします。

何が凄かったって、「先を見通す力」が秀でていました。それは、「相手の心理・力量を見抜く力」が源でありました。

玄徳に仕える前から、「天下三分の計」の構想を持ち、見事に実現させました。

弱小であった玄徳の勢力も、孔明が登場してから大きくなりました。それも、先を見通して大小様々な計略をもって勢力拡大していくわけです。

新野での大勝と撤退、赤壁の戦いを仕向けたことで、荊州攻略を成します。その最中で、周瑜に様々な策謀を企てられますが、見事に全て看破。

そして、天下三分の計の構想を実現すべく、新たな蜀を建国しました。

漢中攻略の時は、曹操といえど孔明には敵わず、散々にやられます。それもこれも、孔明が曹操の力量と心理を見抜いていたからです。

(※曹操が赤壁の戦いで敗走する際にも、孔明にとことん痛めつけられました。)

また、多くの発明もしており、地雷や連弩(れんど)といった武器の他、饅頭を初めて作ったのは孔明とも言われています。

孔明の偉大さを引き立てた司馬仲達

三国志の後半、曹操と玄徳が亡くなってからは、諸葛孔明と司馬仲達の知恵比べが物語の主軸になります。

孔明も恐れていた仲達ですが、故事成語に「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とあるように、仲達の方が孔明を恐れていました。というより、孔明を尊敬・心酔していたと言っても過言ではありません。

(※臨終の際に、「諸葛孔明、なんと素晴らしい男であったか。あの世でゆっくり教えを請いたい。」という言葉を残したとされています。)

孔明を誰よりも恐れたのは、仲達にも相手の心理・力量を見抜く力があったからです。

その結果、打って出ることは極力避け、孔明の侵攻を防ぐことができました。(※しかし、孔明の策謀に引っかかり、打って出たこともありました。)

蜀本国の腐敗や部下の失態で、孔明が撤退せざるを得ない側面もありました。しかし、損害を最小限に抑えた孔明の撤退ぶりを、仲達は讃えました。

また、孔明同様「用心深さ」も仲達に備わっていた力でありました。(しかし仲達に限っては、「したたかさ」という表現が相応しいかもしれません。)

孔明死後、魏も腐敗し、クーデターを起こし魏の丞相となり、司馬一族が実験を握ります。そして、司馬仲達の孫にあたる司馬炎が中国大陸を統一し、晋王朝を築きました。

※参考文献

『三国志』(吉川英治:著、講談社)
『三国志』(横山光輝:著、潮漫画文庫)

関連記事

歴史の雑学

サーチアイレット > 教えて知恵袋 > 歴史の雑学 >

日常生活の豆知識

教えて知恵袋

教えて知恵袋のロゴ 身体、食べ物、生活用品、日常生活、自然等の雑学・豆知識

今日は何の日カレンダー

世界各国のニュース速報

情報検索に役立つコンテンツ